開校当時の学園都市校室長先生

岡本校は日能研関西の5番目の教室として開校。今は阪急岡本駅近くの5階建てのビルですが開校当初はJR摂津本山駅に近い山手幹線沿いのビルで教室名は「本山校」。B1が書店、1Fがマクドナルドで2、3Fが日能研関西でした。
神戸の東から阪神間には兵庫の有名私学が集まっているので、以前から本山地区は中学受験に関心が高い地域でした。しかし開校時期は竣工計画もあって6月という新学年が始まってからに。核になる本科生が全くいない状態で夏期講習を開講しなければなりません。私が室長に命じられたのですが当時二十代半ばの怖いもの知らずであまり不安もなく、少しでも長い時間教室を開けて明かりをつけておけばお客様が来てくれるかもしれない。そんな安易な考えで二か月くらいの間毎日8時から23時まで教室を開けていました。結果的に時間外に訪れる方はほとんどありませんでしたが、ネット申込などない時ですから電話は遅い時間でも結構かかってきました。無料テストなど教室は長机でしたからとにかく受け付けて、テストが始まってみると満席であわてるといったこともありました。このいつも開いているお店というのは何度か行った飲食店のオーナーから聞いた言葉で、そのおかげで地域No.1になったと聞いたのですが、正直平凡なお店でしたからそれを聞いた時はそんなものかなという程度で聞き流していたのですが、いざ自分が新規開校で結果をださないといけないとなると頭に浮かんできたのはその言葉でした。そんな毎日の繰り返しで何とか夏期講習を開講し9月へとつなげていきました。開校は年度半ばでしたが6年生も募集しましたから、その子たちの結果を出さないと翌年以降の募集に影響すると思い、必死で授業や受験相談をした記憶があります。初年度でも入室してくれた子ども達が優秀だったので、頑張った結果になったと思います。そのおかげか次の年からは生徒も増え2、3年後にはすぐ南のビルに本山第二校を借りるようになりました。(本山第二校はその後も教室数が増えるにしたがって場所を変えていきました。)生徒は増えていきましたが、送り迎えのついでにいつも学校や地域の話を聞かせてくれる保護者や手作りのお菓子を届けてくれる保護者などアットホームな雰囲気は大切にしよう、ちょっとしたことでも相談しやすい教室にしようと思って毎日がんばった若い日を思い出します。