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開校当時の明石校室長先生

Publish :
2025.05.07
Category :
新規開校

明石校開校は1991年7月。明石市の公立高校が総合選抜制を採用(2009年に廃止)していたこともあってか、中学受験熱は阪神間ほど高くはなく、子供たちもスポーツや習い事に力を入れ、比較的のんびりした地域という印象でした。第1期生には、淡路島から船で通ってきてくれた双子姉妹(現在は日能研生の保護者)もいました。明石校の生徒は素直で真面目な子が多く、授業をするたびに学力の伸びしろを感じていましたが、6年生の6月から受験勉強を始め、甲陽学院中に合格した子の吸収力には本当に驚かされました。

通学圏内にある私立中高一貫校の個性ある教育方針と中学受験をすることのメリットを伝え続けているうちに、生徒数も増え、教室不足に伴う改装や増床を短期間でしていったことは嬉しくもあり、大きな責任を改めて感じたことでもありました。

 そして、在任中の大きな出来事と言えば、やはり1995年1月に発生した、阪神・淡路大震災です。当時、自分自身も明石市内に住んでいたので、大渋滞の県道718号線を通り、教室の様子を見に行きました。明石校が入っていたビル(当時)は、開校時に建てられたもので、電気施錠の最新システムだったため、震災直後の停電により建物自体に入ることができませんでした。取り急ぎ、「しばらく休校となります。授業再開については、またご連絡します。」という貼紙をして立ち去りました。その後、教室内部に大きな被害はなかったことで、数日後には授業を再開したのですが、JRの不通により通塾できなくなった元町校や垂水校の6年生を受け入れ、入試まで何とか乗り切りました。1クラス50人はいたと記憶していますが、子供達の集中力は素晴らしかったです。不自由な思いをしている学校の友達や知人のことを見聞きし、勉強を続けさせてもらえる有難さ、そして自分はいま何をするべきなのかに気づいたのでしょうね。

1995年は近畿の統一入試日が3月1日から2月1日に変更となる初年度でしたが、震災のために兵庫は3月1日に戻し、統一入試日が初めて大阪や京都とずれることになりました。それからの数年間は、入試日が近畿内でもめまぐるしく変化する激動の中学入試の始まりとなった年でもありました。  その後、教室は現在の場所に移転しましたが、初代教室長の私にとって、明石校は多くの思い出と愛情が詰まった特別で大切な場所なのです。